偉大な英雄 李舜臣物語 真相はこうです 朝鮮軍を徹底的に壊滅させた日本軍は中国に攻め入る勢いで北上していました しかし朝鮮は宗主国の中国様に援軍を乞いました 中国は属国の朝鮮を助けるために日本軍を上回る大軍を派遣してくれました しかし、それでも日本軍は優勢です 打つ手を失った朝鮮は日本軍の兵糧を断とうとして朝鮮全土を焼き払い焦土作戦に出ました と同時に、戦前は無実の罪で犯罪者扱いされていた李舜臣を再登用して、日本軍の兵糧戦ばかりを狙うゲリラ作戦に出ました。ちなみに李舜臣が罪人扱いされた率右は優秀であったことに対しての妬みだったようです。 李舜臣は軍船とは戦わず、徹底して輸送船を狙いました。輸送船団は戦闘能力の弱く、敵軍を見れば逃げるのは当然だったでしょう 輸送船だけを狙うゲリラ作戦と焦土作戦が功を奏して、日本軍の兵站能力が落ちていき、とうとう秀吉の病死によって中国への出兵に目的を失い撤退が決まりました さて、中国軍と朝鮮軍の連合軍(連合軍といっても朝鮮軍は数も少なく士気も無く全く役に立たなかった)は相手の撤退を見るや勢いづいて、追撃してきます しかし日本軍は巧みな撤退によって無事に退却していきました そして朝鮮南部の海岸線に築かれた倭城での籠城戦では20万の中朝連合軍に対して日本軍は一万。それでも日本側籠城軍の大将、加藤清正の奮闘によって20万の中朝連合軍は大敗し、中国の将軍も討ち取られてしまいました 李舜臣も同様に日本に退却していく日本の船団に追撃をかけましたが、残念ながらそれは正規の戦闘軍で、あっけなく返り討ちにあって島津義弘の軍勢に捕縛され、邪魔だということで海に捨てられて溺死してしまいました つまり日本は正規の海戦によって朝鮮に負けたことが無いのです